Feb. 7, 2023 

人生って旅、、、というか、アウンサー・スーチーさんはかって「ひとところに安住しない生き方はすてき」と自由奔放さに憧れたが、やがて長じて「旅が人生ではなく、人生こそが旅なのだ」と語っている。私も人生は旅だ、という考え方を以前からずっと持っていて、今も、旅を生きている。

 

 テレビ放送は1953年昭和28年2月1日午後2時にNHKがスタート、民放では日本テレビがその年の8月に開局今年2月で70年となる。私の旅、昭和38年1963年23歳の春、同志社大学を3月に卒業、4月に大阪の関西テレビ放送に入社したが、それは1963年、昭和38年春のこと、1958年カンテレ開局5年目、テレビ放送開始10年目の春だった。前年の秋、新卒採用試験で産経新聞大阪本社新聞記者試験に合格していたが、直後に出来て間もない関西テレビの就職を薦められてその採用試験を受けてTVの世界へ飛び込んだ。以来38年、TV局卒業、退社まで様々な経験をしたが、スタート間もない頃の関西テレビの制作現場は生放送が多く、音響効果の仕事は凄まじいほどてんてこ舞いの忙しさ、だったが楽しかった。現場での最初の職場は音響効果の職場で、そこで10年間頑張ったがなかでも根性ドラマ3作品、平井昌一主演「ど性骨どしょうぽね」松山容子主演「うどん」、西郷輝彦主演「どてらい男やつ」の3作の制作は視聴率も高く苦労も多く、忘れられない作品である。その後ディレクターやプロデューサーの仕事を経験し、コマーシャルから旅番組、報道番組までいろいろやったがなかでも医学番組の「がんばれ実年」や旅番組「ふるさとZIP探偵団」などでは忘れられない数々の作品がある。放送現場を離れてから仕事はあまり興味あるものがなかったが沢山の放送現場を経験した今思い残すこともない。今の世界では若い人がYouTubeなどSNSへの関心が移り、これからのテレビ界は多難だ。新聞界のように。

 

NHKのこのドラマの半分ぐらいを視たが、私はカンテレ開局の5年目、テレビ放送開始から10年目に入社したのだがこのNHKのドラマと同じような多くの苦労や発見を皆で味わった。それを苦労とも思わず楽しみながら一歩一歩前へ、先へと進んでいった、と感じる。映画での経験がある効果の先輩も少しはいたが、皆が一からのスタートで、レコード盤の焼きつけ、クロマキーを使ったドラマ、など多くの苦労や新規の挑戦を共にしながら皆で上へ上へと上っていった、新しい世界に飛び込み、励み、そうした所に今がある。まさに艱難辛苦爾を玉にす、である。

現場で働いている頃、このドラマで取り上げていた5社協定がしばしば有名タレントの出演の脚を縛り、入社時は役者が少なく偏って配役されていた。コメディは関西の得意技で純ドラマはそうでなく配役で苦労されていたが、関西では当時宝塚映画という五社協定の枠に接触しないところの役者が良く使われていたが、時と共に有名タレントの出演も、例えばマチ子さんもカンテレのドラマに出てくれたし、そのドラマ「赤ん坊夫人」という喜劇に出られたがその効果も私が担当した。それ以外でも有名俳優がぞくぞく出演されはじめたのはカンテレ開局5年、テレビ放送10年ぐらい経ってからのことで、テレビの力もついて来たということだろう。


第5回目の新型ワクチン注射

1月末の27日、第5回目のコロナワクチン注射に行って来た。オミクロン株対応のファイザー製ワクチンだったが今回は痛くなかった。私のワクチンは1,2,3回はファイザーで4回目はモデルナだったが今回5回目はファイザーだった。4回目のモデルナ製のワクチン、、、痛かったのはこれかな?

千恵子は3回目が終わってまだ4ヶ月経過、4回目は4月の予定だが、5月からシステムが変わるようでさてどうなるか。千恵子も2回まではファイザーで3回目はモデルナ、注射後に痛みや倦怠感が出たのでやはりモデルナはどうか?45月というと微妙な時期だろうか。

 

北海道の研究者 海水温上昇に注目 20度超で成長率低下

 

またいとこ従兄弟の堀田美恵子さんから電話を頂いた。YMCAの集まりで福岡から4日土曜日に神戸に来たとのこと、翌日の日曜日栄光教会の礼拝に出たいとお誘いがあった。5日日曜日、教会の礼拝の後、三重子さんとお昼を食べ、久しぶりの再会を楽しんだ。故郷のこと、佐賀県武雄市に2023年今年九州新幹線が走りだしたこと、など、日ごろの生活などなど。まだ午後も会議があるとのことで早めに別れた。