Jan.3 2023

Happy New Year, 2023


元旦の朝は曇り空、初日の出を撮りそこなった、がまあなんとか日の出もどき、と久しぶり帰ってきた天照号


我が家のペットは陶器製のワンちゃん4匹、藤田嗣治の猫、それにクリスマスの3サンタが天気予報を見る。



カモメおじさんが今年も1月4日、ハーバーウオークに現れた

 

大晦日の夜、紅白を見て過した。若手のダンス中心とした唄が目立ったが桑田佳祐の歌が私は一番だと思った

5人の同世代の歌手を桑田佳祐がリードしてセッション「時代遅れのRock'n Roll Band」と熱演していた。

1月に入ってはや2週のラテ欄テレビ視聴率(関西)だ。相変わらずカンテレの視聴率は他社に比べて悪い。1位の『舞いあがれ』はパイロットを目指す女性の格闘ドラマだが、弟の光司も日本航空に入社した時の訓練はこんなだったのかと興味深く視ているが、後半の今は東大阪の中小企業のネジ作りの話に変わってきた。

  お正月の朝は出前おせち、奥さんの負担軽減のため阪急キッチンエールで料理屋のおせちを取り寄せた

      お酒はこのところ毎年灘・新在家の福寿の酒をお屠蘇がわりに戴いているが、これも美味。


神戸栄光教会の教友の糸原さんのご主人が暮に急逝された。3日にお葬式が教会であったので今日参列した。

死は時を待たない。お正月だが親しい方が出席されていた。私も糸原由美子さん中学の頃からの知り合いだ。

同志社大学の海の家(琵琶湖の海の家)で夏の修養会を教会学校でしたときの参加者の一人。今栄光教会の

教会員として熱心に信仰の道を歩まれまさかこうも長くも教会でお会いすることになろうとは思わなかった。

 


お葬式の始まる30分前、礼拝が行われる祭壇の前には花と棺、壇上には説教台二つと花束二つ
お葬式の始まる30分前、礼拝が行われる祭壇の前には花と棺、壇上には説教台二つと花束二つ

 糸原由美子さんは私の所属する神戸栄光教会の信者さんで私がお手伝いした教会学校での生徒さんだった。私は15歳の時に母と兄弟と一緒に九州の福岡から関西に引っ越ししてきた。家の事情があっての転居だったが、最初は宝塚に住んのだが一年足らずで神戸に転居、私は高校1年、転校生として伊丹市の兵庫県立伊丹高等学校に転入学した。弟達は次男の正徳は関西学院中学部に転入学し大学まで関学で勉強して経済学部を出て商社に勤めた。三男の圭一は中学部から関学で学び大学は法学部、旅行業に就職、四男の光司は中学から関学で大学では工学部に入り3年の時に学園紛争に嫌気をさして中退して日本航空のパイロット試験に同格、パイロットとして定年まで空を飛んだ。

 私は県立伊丹高校に宝塚から通ったが神戸にほどなく転宅したが神戸から伊丹高校へ、伊丹でクラリネットと吹奏楽を部活で覚えて熱心に練習に励み大学は京都の同志社大学へ進む。同志社大学では文学部の美学芸術学を専攻、勉強とアルバイト、オーケストラ部やマンドリンクラブで活動、大学の勉強も忙しかったが音楽も同時に熱心に練習した。それと同時に日曜日には小さい頃から教会に母に連れられて行っていたこともあり、栄光教会で高校2年の時に弟の正徳と共に栄光教会の宮崎牧師の元で洗礼を受けてクリスチャンとなったのだが、大学に入ってから教会の先生から勧められて日曜学校の教師を頼まれてジュニアチャーチ、中学生のキリスト教の教友、指導者となったが、その時中学生の担当をしている時に教会にやってきた神戸女学院の中学生の4人、そのうちの一人が糸原さん、安家さんと旧姓は言われたが、安家さんらの信仰生活の手伝いをした。その後安家さんは受洗したいと望まれて受洗され、私は信仰生活の教友をも任されたが大学を卒業した私は新聞社の試験に合格したがその後オファーのあった2番目の合格先の会社、関西テレビ放送に就職し、卒業後は出来てまもないテレビ局、出来て5年後のとんでもない忙しさで次第に教会へ行く機会も少くなり加えて住む場処が大阪となって教会への足が遠退き、安家さんとも音信が途絶えたようになったが、彼女はここに載せた信仰告白文のような豊かな人生を歩まれて今も熱心な信者さんの生活だ。私が退職後神戸に移って来てまた教会へ通うことになって改めて安家さん、結婚されて糸原さんとなったが、また信者として親しくお会いできることになった。糸原さんの信仰告白にある決心のお手伝いとなったのが私のことだとは、聞いていて驚いた。私のあの頃の情熱は何処に行ったのだろう。

 糸原由美子さんの信仰告白は次の通りだ。素晴らしいお話に感動した。





 

リクローのチーズケーキは私たち夫婦も愛好する甘いもの、安くてうまい!大阪らしいケーキだ。大阪市内のあちこちに店があって焼き立てのフワフワのケーキとして人気があったので私たちもある意味ハマった。一時神戸にも店があったが今はなく私が大阪難波の病院に行ったときのお土産に難波店で買って帰って楽しむ。